(追記あり)人口が増えると環境破壊だけでなくマナーも悪くなるのか? 投稿日:

唐突ですが私はクルマの運転が好きです。物心ついた時から親のクルマの運転席でハンドル弄って運転ゴッコしてました。16歳で中型二輪免許とってバイクに乗り、18歳で普通車免許とってそれからずっと運転してます。29歳の時に限定解除もしました。

公道での運転歴は34年目(2輪からだと36年目)になりますから、所謂「ベテランドライバー」になるのでしょうね。でも優良ドライバーでもないし自分が運転上手いとも思わないです。(そもそもプロドライバーじゃないし)

ゴールド免許は2回取ったことありますけど今はブルー免許です。若い頃免取寸前までいったことあるし、事故も何回か経験してます。(加害・被害両方)

運転マナーだって抜群に良いわけではないです。人から見たらおかしいところもあるでしょう。

そんなごく普通のドライバーである私ですが、最近ここ(長野県)で運転すると疲れてしまって仕方ないのです。

たまに東京で運転することがあるのですが、そのときはとても快適で楽しいんです。でも田舎に戻ると疲れる。なんでだろうと考えてみたら一つの答えにたどり着きました。それは、


地方(田舎)の人達、運転マナー悪い人が多すぎるから(個人の感想)


なのです。普通に近所を運転しても、数時間かけて県内のあちこちに行く時も、周りのクルマの動きが不可解すぎてくたびれてしまうのです。

東京(首都圏)で運転するとそれがない。周りの動きの予測が立てやすいのですね、きっと。

昔は違ったと嘆く前に、理由を考えてみる

首都圏には22年間ほど居ましたし、向こうでもクルマを乗ってましたから慣れているというのもあるでしょう。でも、なんか田舎と違うんですよ。

2007年に帰郷して以来こちらで生活していますが、その頃から「世間の方々は何故こんなに運転マナー悪いのかしら」と疑問に思っていました。


すれ違い困難な狭い道で、明らか自車の方に待避スペースあるのに突っ込んでくる

カーブミラーで見えているのに、気にせず突っ込んでくる

峠道のブラインドコーナーで、道路の真ん中を走ってくる

右折信号のある交差点で信号無視して突っ込んでくる


等、些細なマナー違反がどうしても目立ってしまうんです。

「子供の頃、助手席から見ていた景色は違ったんだけどな。あの頃の大人達は皆譲り合っていたのにな。」と嘆いてしまいがちですが、なぜこうなってしまったかを考えてみました。

自分が子供だった昭和の時代と平成の現代で何が変わったかというと、当たり前ですが車の数が変わりました。どの位変わったかをこのページの資料を元に調べてグラフを作りました。

運輸要覧 平成26年度版 国土交通省 北陸信越運輸局長野運輸支局編

集計したのは「長野県における自動車数の推移」より「登録車合計数」と「軽自動車数」の二つです。「軽自動車数」には軽二輪車(126CC~250CC)の数も含まれてしまっていますので厳密には正確な数値ではないですが、そんなに大きな差はないと推察されます。

昭和23年を起点とし、昭和30年から60年までは5年ごと、平成7年から26年までは毎年のデータが集計されています。グラフを見ると昭和40年代から増加し始め、昭和60年(1985年)に100万台を突破しています。

昭和40年(1965年)から総台数160万台を突破した平成8年(1996年)までの31年間の伸び率が急激で、この間は平均すると1年間で約46,000台増加のペースでした。

平成9年(1997年)から年間増加数のペースは少し落ち着き少しずつ減少していますが、総台数は毎年微増を続けているようです。リーマンショック前後(平成20年~22年)がマイナス成長なのは世相を反映していますね。


私の少年時代(昭和50年/1975年)と平成26年/2014年を比較すると、

  • 昭和50年 総台数:626,943台
  • 平成26年 総台数:1,849,081台 (294.9{10e74d7fc01db397d7eaf0ce076b07bbddac45aafb2118a8b2921e515290e2fa})

となり、車の数が約3倍になったことがわかります。

それだけ公道にでてくる人の数=運転人口が増加したわけです。

実際の人口推移はどうなのかなと思い、ここからデータをお借りしてグラフ化しました。

長野県の人口の推移(長野県Webサイトから)

参照ページから「生産年齢人口」と「老年人口」の二つを集計しました。時間軸が少し違いますが、おおよそ同時期のデータとして捉えてもよいでしょう。

以上二つのデータを比較すると

世間で言われている通り、「一家に一台」の時代から「一人一台」の時代に変貌していますね。運転免許を持つ年齢のほぼ全員が、それぞれ1台の車で公道に出てきている計算になるかと思います。(ちょっと乱暴ですが)

以上のように、少年時代からは比較にならないくらい多くの人が車に乗って公道を走っていることがわかりました。

でもさ、みんな教習所や年長者に運転マナーを教わるんじゃないの?

私が免許を取りに教習所へ通っていた頃は、それはそれは厳しい教官が沢山いました。教習中にヘタこくとすぐに罵声を浴びせられたものでした。

車でもバイクでも、ハンドルを握るということは命を握ることと同じです。バイクもクルマも人殺しの凶器になる要素があるからです。だからこそ、当時の教官達は生徒に厳しく接していたのだと思います。

公道上での運転マナーも、教習所や年長者(先輩方)から学びとって自然と身についていた様な気がします。勿論、失敗を繰り返して覚えてきた側面もありますが。

最近運転していて思うのは「教習所で何を教えているんだろう」ということなんですよね。ウワサに聞いたところによれば、少子化も相まって教習所経営も苦しいので生徒の「お客様化」が加速し、全く怒られなくなっているとのことです。

運転するための資格を得る機関で正しく行われるべき教育がなされていない、だから運転マナーが向上しない。

しかし、私が感じている運転マナーの低下の原因は、果たしてそれだけなのでしょうか?

人が増えると、本来互いに気遣うはずなのに

J-STAGEのWebサイトに掲載されているこの論文では、人口増加と環境破壊の相関性が検証されています。

人口と環境の関連性について

これによると、特に発展途上国では環境の悪化と人口増加、貧困の並存がありうると論じています。環境悪化=マナーの低下と考えると、人口が増えるとマナーも悪くなると考えられるかもしれません。

しかしながら、日本は古くから小さな土地に多くの人々が暮らし、互いに尊重し合い助け合って歴史を作ってきた国です。発展途上国における人口増加=環境破壊=マナー低下がそのまま当てはまるとは考えにくいです。

(もちろん、日本においても人口増加に伴い環境破壊がされている事実はあります)

最近話題になる「高齢者のマナー低下」を論じている文章の中に、その原因は「孤独」にあるというものがありました。孤独が続くと社会性を失い、本来もっていた協調性や守るべき規範を忘れてしまう、そんなことが考えられるそうです。

クルマの運転時は一人で運転するケースが多く、所謂「孤独」な状態に陥ってるのではないでしょうか。クルマという「箱」の中に居る間は「自分一人」であり、たとえ公道を走っていても「自分しかいないんだ」と錯覚しているのではないでしょうか。特に田舎の場合、急速に台数が増えた為に「クルマが多い環境」に慣れることが出来ないのでしょう。

私の少年時代は、たとえクルマという鎧を身にまとっていても「孤独」と感じることが少なかったので、皆マナーが良かったのではないかな。

東京を中心とした首都圏の場合、人口が多くクルマが多いのは昔からで、尚且つ地方出身者が多いこともあって互いに意識して気をつけているのだと思います。首都圏で運転するとき自分本位の運転をすると、結果として交通の流れを遮ってしまい自分自身が不利になることを皆理解している。だから交通の流れに沿ってマナー良く運転する。

一人一台を有するようになった長野県でも、孤独なクルマが少なくなって皆譲り合い助け合う時代が来て欲しいと切に願います。

最後に、こんな運転する人も多いですよね....

ホント、やめて欲しいです。

なぜ多い? ウインカーを出さない車、横行する「合図不履行」違反|あおりハンドルとは?

そんなに左右に頭ふらなくても余裕で曲がれるよ・・・・

もうちょっと車両感覚を身につけようね・・・(頼むから教習所で教えて)

ちゃんとウインカーだそうね・・・(進路変更の30m手前からだよ

お願いですからせめてウインカーくらいだしてください

(追記)

1月9日に群馬県前橋市でまたもや高齢者による痛ましい事故が発生しました。

容疑者は認知症の疑いもありそうですが、高齢者の運転マナーも問題だと思います。自身が働き盛りの昭和40~50年代、モータリゼーションの発達と共に免許とクルマを入手して運転を始めたのだと思うのですが、その頃は今と比べて道路整備もされていないしクルマの数も少なかった。その時期に運転していた感覚で現代でもクルマを走らせているのではないでしょうか。

そこに認知症の症状が入ると最悪です。一定の年齢に達したら免許剥奪、クルマ没収というような政策が必要なんじゃないかと感じるこの頃です。